バラの写真はネットにも雑誌にもたくさんあるし、華やかなローズガーデンの写真は本当に美しいものです。そのようなものに憧れて、バラを育って始めた人も少なくないです。しかし写真というのは過信してはいけない存在です。
「写真」というのは「真」を「写す」と書いて「写真」です。真実を写すのですね。それはかなりあっています。だけど写真を採択する人間は、しばしば嘘をつきます。たとえ悪気がなくてもです。
写真に写っているバラは過信してはいけません。それに憧れて、完璧主義になるとまずいです。写真のバラというのは、美しさにおいてかなり選抜された存在です。現実のバラは、写真のバラよりも美しくない場合がほほとんどです。
なぜか。それは写真を撮影し、メディアに掲載する立場になれば分かります。写真を撮ったとしましょう。しかし撮影者は撮影した写真を、正直に全部雑誌に掲載するわけではありません。良いと思った写真を選抜して掲載するはずです。なぜならきれいに見せたいからです。
したがって写真上のバラというのは、一番いい状態のバラを指しているのです。誰しもが良い写真を掲載したいと思っているのです。多かれ少なかれ。
人間には「記憶色」というのがあります。それは人間が思っている色を指します。しかし実際の色と記憶色は同じかと言うと、違います。「思い出は美化される」と言いますが、非常に的を得ている言葉です。記憶色は、美化された世界の色なのです。実際には存在しない架空の色なのです。したがって思い出の写真は、色修正が行われます。出来る限り記憶色に近づける作業のことです。このようにしてきれいな写真ができます。
記憶色は通常彩度が高い傾向があります。たとえば赤いリンゴの記憶色は、実際のリンゴの色よりも、赤みが強い(高彩度)傾向があるのです。ただし肌の色だけは例外で、肌の記憶色は低彩度になります。(白い肌は美しい。ホワイトはあなたのもの。)肌の色は色彩学上、かなり特異な存在なのです。
最近のカメラやアプリは簡単に色修正が出来ます。それもきれいに見せるために、あるいはインスタ映えするために、行われています。写真は確かに真実を表すものですが、それを扱い人間は嘘を付くことが出来ます。むしろ真実は知らないほうが幸せなのかもしれません。しかし園芸は否が応でも真実に向かわなければいけない作業なのです。そこに目を背けては、何も出来ないのです。
まぁ過信はしないことです。少しずつ植物と対話をしながら、歩み寄るしかないのです。